古典 六歌仙と三十六歌仙のまとめと問題

古文知識
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今回は六歌仙と三十六歌仙の名前に関するまとめと問題です。

六歌仙と三十六歌仙、それぞれどのような人が選ばれているのでしょうか。また百人一首で選ばれている六歌仙・三十六歌仙は誰なのでしょうか。

六歌仙の覚え方(語呂合わせ)も確認します。

六歌仙とは

六歌仙紀貫之が「古今和歌集仮名序」で挙げた、六人の歌人のことです。ただし貫之自身は六歌仙とは呼んでいません。

歌仙(和歌の仙)はもともと柿本人麻呂山部赤人の2人を指していました。柿本人麻呂、山部赤人は歌聖と呼ばれています。

六歌仙一覧

六歌仙は僧正遍昭・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町・大伴黒主の6名です。

六歌仙 読み方 生没年・百人一首(○)・三十六歌仙(□)
僧正遍昭 そうじょうへんじょう 816~890年・○・□
在原業平 ありわらのなりひら 825~880年・○・□
文屋康秀 ふんやのやすひで 不明・○
喜撰法師 きせんほうし 不明・○
小野小町 おののこまち 不明・○・□
大友黒主(大伴黒主) おおとものくろぬし 不明

僧正遍昭は俗名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、桓武天皇の孫です。三十六歌仙にも選ばれています。

在原業平、小野小町は美男・美女であったことでも知られています。2人とも三十六歌仙にも選ばれています。

文屋康秀は古今和歌集真名序では文琳と呼ばれていました。三十六歌仙には選ばれていませんが、中古三十六歌仙には選ばれています。

喜撰法師は謎の多い人物で、残っている歌も二首のみとされています。

大友黒主は六歌仙中唯一百人一首に選ばれていない歌人です。

六歌仙の覚え方(語呂合わせ)

六歌仙を語呂合わせで覚えることができます。

【おそうざいはきぶんだい】

お→小野小町、そう→僧正遍昭、ざい→在原業平、き→喜撰法師、ぶん→文屋康秀、だい→大友黒主

【大小の僧が喜ぶ文(ふみ)在(あ)り】

大→大友黒主、小→小野小町、僧→僧正遍昭、喜ぶ→喜撰法師、文→文屋康秀、在り→在原業平

三十六歌仙とは

三十六歌仙藤原公任が「三十六人撰」で紹介した、優れた歌人を指しています。藤原公任自身も歌人であり、百人一首にも選ばれているほどの優れた和歌を残しています。(百人一首では「大納言公任)の名。)

三十六歌仙一覧

三十六歌仙には歌聖と呼ばれる柿本人麻呂と山部赤人、六歌仙の歌人を取り上げた紀貫之も入っています。

三十六歌仙 読み方 生没年・百人一首(●)・六歌仙(■)
柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ 不明・●
山部赤人 やまべのあかひと 不明・●
大伴家持 おおとものやかもち 716?~785年・●
在原業平 ありわらのなりひら 不明・●・
僧正遍昭 そうじょうへんじょう 816~890年・●・
紀貫之 きのつらゆき 不明・●
小野小町 おののこまち 816~890年・●・
伊勢 いせ 872~938年・●
壬生忠岑 みぶのただみね 不明・●
猿丸太夫 さるまるだゆう 不明・●
大中臣頼基 おおなかとみのよりとも 816~890年
坂上是則 さかのうえのこれのり 825~880年・●
源重之 みなもとのしげゆき 不明・●
藤原朝忠 ふじわらのあさただ 不明・●
藤原敦忠 ふじわらのあつただ 不明
藤原元真 ふじわらのもとざね 910~966年
藤原兼輔 ふじわらのかねすけ 877~933年
凡河内躬恒 おおしこうちのみつね 不明・●
紀友則 きのとものり 不明・●
源信明 みなもとのさねあきら 910~970年
斎宮女御 さいぐうのにょうご 929~985年
藤原清正 ふじわらのきよただ 不明~958年
藤原高光 ふじわらのたかみつ 939?~994年
小大君 こおおぎみ(こだいのきみ) 不明
中務 なかつかさ 912~991年
藤原興風 ふじわらのおきかぜ 不明(900年ごろ)・●
藤原敏行 ふじわらのとしゆき 不明~901(907)年・●
源公忠 みなもとのきんただ 889年~948年
源宗于 みなもとのむねゆき 不明~940年・●
素性法師 そせいほうし 不明~910年・●
藤原仲文 ふじわらのなかふみ 923~992年
清原元輔 きよはらのもとすけ 908~990年・●
大中臣能宣 おおなかとみのよしのぶで 921~991年・●
源順 みなもとのしたごう 911~983年
壬生忠見 みぶのただみ 不明・●
平兼盛 たいらのかねもり 不明~991年・●

三十六歌仙は歌仙どうしが身内の者も多く、紀友則は紀貫之のいとこ、中務は伊勢の娘、素性法師は僧正遍照の子、壬生忠見は壬生忠岑の子です。

清原元輔は清少納言の父親で、今昔物語集、宇治拾遺物語にも元輔の面白いエピソードが語られています。父が偉大な歌人でもあるため、清少納言が和歌を詠みたがらなかったという話も残っています。

百人一首と三十六歌仙

三十六歌仙は百人一首に選ばれた歌仙が多く、三十六歌仙の36名中25名の歌が百人一首に選ばれています。ただし百人一首では藤原敦忠は権中納言敦忠、は藤原兼輔は中納言兼輔の名になっています。

大中臣頼基、藤原元真、源信明、斎宮女御、藤原清正、藤原高光、小大君、中務、源公忠、藤原仲文、源順の計11名の歌は選ばれていません。

三十六歌仙に選ばれていない六歌仙

六歌仙である文屋康秀、喜撰法師、大友黒主は三十六歌仙に選ばれていません。ただし文屋康秀は中古三十六歌仙に選ばれています。

中古三十六歌仙一覧

中古三十六歌仙とは(藤原範兼「後六々撰」より)三十六歌仙にはならなかったけれどすぐれた歌人とされた、36名を指します。

・文屋康秀(ふんやのやすひで)

・大江千里(おおえのちさと)

・清原深養父(きよはらのふかやぶ)

・曾禰好忠(そねのよしただ)

・恵慶法師(えぎょうほうし)

・藤原義孝(ふじわらのよしたか)

・藤原実方(ふじわらのさねかた)

・藤原道信(ふじわらのみちのぶ)

・藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)

・藤原公任(ふじわらのきんとう)

・和泉式部(いずみしきぶ)

・紫式部(むらさきしきぶ)

・赤染衛門(あかぞめえもん)

・伊勢大輔(いせのたいふ)

・清少納言(せいしょうなごん)

・藤原道雅(ふじわらのみちまさ)

・藤原定頼(ふじわらのさだより)

・相模(さがみ)

・能因法師(のういんほうし)

・在原棟梁(ありわらのむねはり)

・平貞文(たいらのさだふみ)

・藤原忠房(ふじわらのただふさ)

・在原元方(ありわらのもとかた)

・増基法師(ぞうきほうし)

・安法法師(あんぽうほうし)

・菅原輔昭(すがわらのすけあき)

・藤原高遠(ふじわらのたかとお)

・藤原長能(ふじわらのながよし)

・大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)

・大江匡衡(おおえのまさひら)

・大江嘉言(おおえのよしとき)

・兼覧王(かねみおう)

・源道済(みなもとのみちなり)

・道命阿闍梨(どうみょうあじゃり)

・馬内侍(うまのないし)

・上東門院中将(じょうとうもんいんのちゅうじょう)

【参考:Wikipedia】
伊勢大輔と伊勢は別人です。(伊勢は女房三十六歌仙に選ばれています。)

【問題編】六歌仙と三十六歌仙

次の問いに答えなさい。または(      )に適切な語句を入れなさい。(答えは▼をクリック)

問1 六歌仙をすべて答えましょう。(ヒント:おそうざいはきぶんだい)


問2 六歌仙は(      )の書いた古今和歌集仮名序が由来になっています。

問3 歌聖と呼ばれた2人を答えましょう。

問4 百人一首に選ばれていない六歌仙は誰ですか。

問5 六歌仙にも三十六歌仙にも選ばれている歌人を3名答えましょう。

問6 六歌仙で中古三十六歌仙に選ばれた歌人は誰ですか。

問7 三十六歌仙は(      )の書いた「三十六人撰」が由来になっています。

まとめ

六歌仙は僧正遍昭・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町・大友黒主(紀貫之の「古今和歌集仮名序」)

三十六歌仙は柿本人麻呂・山部赤人・大伴家持・在原業平・僧正遍昭・紀貫之・小野小町・伊勢・壬生忠岑・猿丸太夫・大中臣頼基・坂上是則・源重之・藤原朝忠・藤原敦忠・藤原元真・藤原兼輔・凡河内躬恒・紀友則・源信明・斎宮女御・藤原清正・藤原高光・小大君・中務・藤原興風・藤原敏行・源公忠・源宗于・素性法師・藤原仲文・清原元輔・大中臣能宣・源順・壬生忠見・平兼盛(藤原公任の「三十六人撰」)

・大友黒主は六歌仙中唯一百人一首で選ばれていない

・三十六歌仙36名のうち、25名が百人一首で選ばれている

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